大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和39年(合わ)347号 判決 1965年6月04日

被告人 甲(昭二二・五・一四生)

主文

被告人を懲役三年以上五年以下に処する。

未決勾留日数中一八〇日を右本刑に算入する。

理由

(被告人の経歴)

被告人は肩書本籍地で農業兼精米業を営む父T、母K子の四女として生まれ、両親の膝下で成長し、昭和三八年三月同地の中学校を卒業したが、高等学校へ進学するよりは、むしろ憧れの東京へ出て就職することを好み、同年四月上京して東京都墨田区所在の○○化学株式会社に工員として勤務し、同社の寮に寝泊りするようになつたところ、同年五月末頃右会社が千葉県へ移転する予定であることを知るや、東京を離れて生活することを嫌つて同年七月中旬同社を辞め、その頃従姉のK・T子及び○嶋家の知人○川○るの紹介で、東京都世田谷区○○○○○町○○番地○嶋○夫(俳優○島○夫当三四歳)、同○子(俳優○美○代当三二歳)夫妻方に家事手伝として住み込み、爾来昭和三九年六月六日から同年八月一九日までの間、当時○○座出演中の右○夫の付人として○○座へ通い、お手伝と付人の仕事とを兼ね働いた外は、専ら同人方で家事手伝をしていたものである。

(犯行に至るまでの経過)

右○嶋夫婦の長男○嶋△夫(昭和三九年三月一〇日生)の看護養育のため、同年五月八日頃より看護婦の○内△子(当二九歳)が同家に住み込み、被告人と共に生活することとなつたが、それ以来被告人は女主人○子が右○内を重視し、ことさらに○内とのみ親密にして被告人を除け者にしているものと邪推し、家内の些細なこともいちいち右の如き僻目でながめては○内に対して嫉妬の念をもやすようになつたところ、同年七月下旬頃これまで自分の気持を良く理解してくれ家内における唯一人の味方とも思つていた主人の○夫から、被告人の○内に対する反抗的態度を改め、もつと仲良くやつて欲しい旨の注意を受けたことに大きな精神的打撃を受け、このように主人から悪く思われるのも○内の告げ口がもとだと思い、○内に対して嫉妬の念のみならず憎悪の念をも抱くようになつた。

その後同年八月二〇日過ぎ頃、夫と共に近く洋行する予定となつていた○子が、△夫のために買う土産物の話を○内としているのを廊下で立ち聞きした被告人は、○子が○内のために買つてきてやる土産物の相談をしているものと曲解し、例によつて○子が自分を除け者にして○内に対してのみ親切にしているものと邪推し、○子の態度を恨むと共に、○内に対する嫉妬と憎悪の念の混交した悪感情はますます強くなり、その頃より被告人は次第に、このままでは益々○内一人が重用され、自分は冷遇されるばかりとなるので、何としてでも○内を○嶋家から追い出さねばならないと決意し、その方法をあれこれと思いめぐらすうち、△夫さえ居なければ、○内も必要でなくなり居なくなるだろうと思いはじめるに至つた。

(罪となるべき事実)

昭和三九年八月○○日午前一時過ぎ頃、家人全員が就寝した後、被告人が入浴をし、自室で髪を梳かしていたところ、△夫と同室に就寝していた○内が起き出してきて、被告人に対し夜遅いから早く消燈して寝るように注意した。そこで被告人は、いつたん横臥したが○内に右注意されたことから不快な思いのみが脳裡を去来するうち、○内に対する嫉妬と憎悪の情が俄かに高ぶり、○内を○嶋方から退去させるには△夫を殺害する以外に途はないと思いつめるとともに、自己の犯行と疑われないようにするため泥棒が入つて△夫を殺害したように見せかけ、かつ、泣声も出させずに目的を遂げるため、△夫を浴槽内に投げ込んで殺害しようと決意し、暫時家人の寝静まる機を窺つた後、同日午前二時三〇分頃階下六畳間の△夫の寝室に赴き、○内の傍らに就寝中の△夫をひそかに抱え出し、目を覚まして笑いかけた同人を暫く抱き歩いて寝かしつけた後、同家階下浴室の浴槽内(水深三七・四糎)に同人を抱えおとして蓋をし、よつて△夫をしてその頃同所で湯水の吸引により窒息死せしめたものである。

なお被告人は、右犯行当時一七歳三月、現地一八歳の少年である。

(証拠の標目)<省略>

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、被告人が精神的に未熟で且つ性格的に異常なところがあるのに加えて特殊な環境におかれたため、感動発作を起した結果本件犯行に及んだもので、被告人は本件犯行当時心神耗弱の状態にあつた旨主張するので、この点について判断する。なるほど、被告人が○内に対する嫉妬と憎悪の念のあまり、▽夫さえ居なくなれば○内も居なくなるだろうと考えるに至つたまでは十分理解しうるとしても、それからおして直ちに△夫を殺害することを思い立ち、それを実行するに至つては、その間に大きな飛躍があり、甚だ唐突にして常軌を逸するものとも思われるのであるが、これは思春期にある者の情緒の著しき不安定と精神の飛躍的変動とを前提として考えれば、理解し得ぬものではない。被告人は本件犯行当時及びその前後の模様を詳細明瞭に記憶しており、捜査官に対しても公判廷においてもこれを刻明に供述していること、また犯行直後冷静に泥棒工作をして自己の犯行の隠蔽をしようとしていることなどから考えても、本件犯行当時特別の意識障害はなかつたと認められるばかりか鑑定人三浦岱栄作成の鑑定書、殊に「被告人の本件犯行当時の精神状態は、知能的にはほぼ正常であり、性格的に情性欠如、顕示性、欺瞞的傾向、意志欠如性の傾向を主徴とする精神病質者の状態にあるほか、とくに狭義の精神病であるような症状はみとめられず、また意識障害があつたものとも考えられない。したがつてまだ青年期にあるとはいえ、素朴な意味においては是非善悪を判断する能力、またはその判断にもとづいて行動する能力は保たれていた。」旨の記載及び前掲各証拠によれば、被告人は、本件犯行当時、是非善悪を弁別する能力及びそれに従つて行動する能力を有していたものと認めることができ、これが著るしく減退していたものとは認められないので、弁護人の主張は理由がなく、採用することはできない。

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法第一九九条に該当するところ、その所定刑中有期懲役刑を選択することとし、右刑期の範囲内で処断すべきところ、その情状につき考察するに、被告人は犯行当時未だ一七歳三ヶ月の少女であつて、人格的に未熟で形成途上にあり、青年期に特有の情緒の不安定性に多分に支配されやすい年頃であること、被告人のこれ迄生い育つてきた新潟県佐渡郡の同郷人に囲まれた比較的単純で静かな田舎の生活とはあまりにもかけはなれた喧噪と複雑な人的関係の渦巻く東京に肉親と離れて、しかも人気俳優の家という格別刺激の多い特殊な環境の下で、共に生活する者としては年長者ばかりで、被告人と共通の話題をもち、お互いの感情を理解し合えるような話し相手を欠き、とりわけ被害者△夫の出生後は、主人夫婦の関心は△夫に集中され、ひいては女主人が看護婦と接触する機会が多くなつたところ、そのような環境の変化に順応するだけの能力を末だ有しない被告人がいよいよ孤独と寂寞に懊悩するに至つたことは察するに余りあり、現在深く悔悟し、被害者の冥福を祈りつつ更生を誓つており、青年期を脱した暁には、温い故郷の家庭的及び社会的環境によつて早期の更生が期待できる等被告人に有利な情状は十分斟酌されなければならないのであるが、被告人自身も当公判廷において認めている如く、被告人の看護婦に対する嫉妬や憎悪の念は、主として被告人の邪推と誤解から生じたものであり、格別邪険に扱われていなかつたばかりか、むしろ主人夫婦により相当の配慮を受けていたものと認められること、思慮の未熟、無分別のため、自分の正になさんとする行為の意義やその結果と影響等に思いを致さず、余りにも短絡的に、また自己中心的に本件犯罪を敢行したこと、如何に看護婦に対して嫉妬し憎悪したからといつて、同女を退去させる手段として筋違いにも清浄無垢天使の如き、生後五ヶ月余の嬰り子を浴槽に投じてその命を奪いとつた行為の残虐非道なこと、被害者の両親のはかり知れぬ悲しみの念と、子をもつ世の親達に与えた大きな不安と動揺等を彼此綜合すると、この際被告人には相当の刑罰を科し、被害者の菩提を弔いつつ躬らその刑事責任を果たして心からの贖罪をさせることこそ、被告人の今後における更生や社会復帰を全つたからしめる第一歩であると思料される。

而して被告人は少年法第二条第一項の少年であるから、同法第五二条第一項、第二項を適用して被告人を三年以上五年以下の懲役に処し、刑法第二一条を適用して未決勾留日数中一八〇日を右本刑に算入し、訴訟費用については刑事訴訟法第一八一条第一項但書により被告人に負担させないこととする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 江里口清雄 櫛淵理 島田仁郎)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例